2025年7月25日の夕方、池袋の寿司店で起きた刺殺事件。
容疑者は56歳のベテラン従業員・石岡雅人容疑者。
そして犠牲となったのは、同じ店で働いていた32歳の若手・岩田知幸さんでした。
「関係がうまくいっていなかった」「怒りが爆発した」――
石岡容疑者がそう語ったというこの事件、決して“一時の衝動”だけでは済まされない、職場という場の“すれ違い”が見え隠れしています。
今回は、2人の関係性やそこに潜んでいた可能性のあるトラブルに焦点を当ててみます。
事件の概要 池袋の寿司屋で起きた同僚刺殺事件について
2025年7月25日、東京・池袋の飲食店で、32歳の男性・岩田知幸さんが首を刺され死亡するという衝撃的な事件が発生しました。
逮捕されたのは、店の従業員・石岡雅人容疑者(56)です。
事件発生後、50代の男が自ら交番に出頭し、「人を刺した」と供述。警視庁は、この男が現場の店に関係する人物であり、被害者とは“同僚”の関係にあった可能性があるとみて捜査を進めています。
事件直後、石岡容疑者は現場近くの交番に訪れ、「人を刺した」と自ら申し出たとのことです。
男はその場で身柄を確保され、事情聴取の結果、被害者の岩田さんとは同じすし店で働く“同僚”だったということです。
加害者と被害者は“年の離れた同僚”という関係性
事件が起きたのは、東京都豊島区西池袋の寿司店、「寿司茶屋 桃太郎 池袋西口店」
石岡容疑者(56)と岩田さん(32)は、同じ店舗で働く“同僚”でした。
年齢差はおよそ24歳。
一般的には「先輩・後輩」というより、親子ほどの年の差です。
しかし飲食店の現場では、年齢と立場が必ずしも一致しないのが現実。
若くして店の運営に関わるような立場に就いている人もいれば、年上でもアルバイトやパートというケースもあります。
もしかするとこの2人の間にも、そうした立場と年齢のズレによるすれ違いがあったのかもしれません。
石岡容疑者の犯行動機は「悪意なきすれ違い」から?
石岡容疑者は逮捕後、「関係がうまくいかず、怒りが爆発した」と供述しています。
刺したのは店にあった刃渡り約30センチの包丁。
胸・腹・首を何度も突き刺すという、非常に強い殺意を感じさせる犯行でした。
もしかすると、岩田さんは仕事熱心で、店の改善点を提案したり、年上の石岡容疑者に指示を出すような場面もあったかもしれません。
それは店のためだったのかもしれないし、本人にとっては「普通のこと」だったはずです。
こうした事件では「言い合いの末にカッとなって…」という説明がされがちですが、
実際には、積もり積もった感情が一気に爆発したケースが多いと言われています。
若いのに偉そうに指示してくる
無視された、軽く扱われた
思うように扱われず、我慢していた
そんな些細なことの積み重ねが、少しずつ「恨み」や「怒り」に変わっていったのかもしれません。
このような感情は、どちらか一方が悪いとは言い切れない“ずれ”によって生まれるもの。
つまり、この事件の背景には、「誰かが悪かった」ではなく、“お互いに気づけなかったこと”による、悪意のないすれ違いがあったのではないか――そう感じざるを得ません。
ネット上の反応は?
石岡雅人容疑者(56) わがはいはころすけなり
また池袋で怨恨
恨みを買われる方は気を付けないといけないし
恨みを買う方は自分のコントロールが大事出頭の同僚を殺人容疑で逮捕 「怒り爆発」、すし店従業員死亡 警視庁(時事通信)#Yahooニュースhttps://t.co/6Hm4zJqCEU
— くまくまくまくま (@1119kaisan) July 25, 2025
⚪︎人はダメだがこれはどこでもありうる事…🙄
【また池袋で】池袋西口『寿司茶屋 桃太郎』で従業員・石岡雅人容疑者(52)が同僚・岩田知幸さん(43)を刺殺…「年下からの指導に不満か」地獄の職場、ついに最悪の結末へ… https://t.co/9aAFQhyaoN
— かりん (@karin_rx) July 25, 2025
⚠️西池袋すし店殺人事件
56歳従業員が32歳同僚を何度も刺す場所
東京都豊島区西池袋1丁目
寿司茶屋桃太郎 池袋西口店逮捕
千葉県船橋市栄町
従業員 石岡雅人容疑者56歳事件16:30
従業員32歳男性の胸や腹を
寿司用の包丁刃渡り30cmで複数回突き刺す犯人
「関係がうまくいかず、怒りが爆発した」 pic.twitter.com/U7SEMvq6zO— せしる@せとさ🕣8月も静養 乙 (@seshiru0602) July 26, 2025
まとめ
・石岡雅人容疑者(56)と岩田知幸さん(32)は、同じ寿司店で働く同僚だった
・年齢差と立場の違いから、関係性にすれ違いが生まれていた可能性も
・石岡容疑者は「関係がうまくいかず怒りが爆発した」と供述
・事件は、どんな職場にも起こり得る“すれ違いの果て”だったのかもしれない